じゃんがりハム日和

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のんびりやってます。

イエロージャンガリアンハムスター

じゃんがりハム日和

イエロージャンガリアン(プティング)ハムスター栗丸

おやすみ、栗丸。

こんにちは、ぼんぼりです。
9月はいつも短く感じるものですが、またあっという間に半月が経ちましたね。
すでにTwitter、Instagramではご報告させて戴いたのですが…

2021年9月16日、栗丸が永い眠りにつきました。
2018年10月1日生まれ、2歳11ヶ月と16日。
3歳までは、あとほんの2週間でした。

******************

もともと、この週末にブログは更新するつもりでした。
来年のカレンダー「栗丸づくし」の制作を決め予約を開始したよっていう急ぎの報告もあったんだけど…

前回の2歳11ヶ月祝いの記事からすぐ、『今月半ばには一度ブログで、皆さんに栗丸の現状をお伝えしておこう』と決めていたんです。

というのも、実はお祝いをした頃くらいから、栗丸は右目が出血するようになりまして。
これまでずっと出血していたのは左目。
右目は白内障+時々炎症という状態で、前回の記事でその炎症も「いよいよ治りづらくなってきた」なんて書いたけど、病状は進んだようで…。
左目と同じく、血が出ては引いて、という症状が右目にも出るようになってしまったんです。

病院にはすぐ連れて行きました。
でも、今の栗丸にしてやれる治療や薬はもうなかった。

そりゃそうよ…そもそも1年以上も点眼を続けてきて、「もうだいぶ高齢、これ以上の目薬は身体に負担がかかってしまうからやめましょう」となったのが6月の話。

目薬やめたら、体重減少は止まるわ禿げてた毛はフサフサになるわで逆にやや元気を取り戻したりで。
結局薬は、副作用があまりにも大きかったのだというのも発覚したわけで。
そんなあとで、3歳近いジジハムに改めて目薬を再開しようなんて話には、やっぱりならなかった。
念のために病院に連れてはいったけど、まあそうなるだろうとは思ってた。

すぐこのことを皆さんに知らせようかとも思ったんだけど、この時お祝いをしたばかりで、応援も期待もしてくれてる人が多い中で伝える気にはなれず、日を置いての報告を決めてたんです。

いずれにしても2歳11ヶ月の栗丸と、その2週間後ではもうずいぶん事情が違っていて、
日毎変わっていく栗丸を見ながら、そんな現状を一旦、やはり月半ばでブログではお知らせしておかねばと考えていました。
だけど…途中経過のつもりが、悲しいかな、お別れの記事になってしまいました。

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前回のお祝い記事でも書いたけど、8月中旬あたりから栗丸はヨタヨタ度が増しました。
下旬頃からペレットを食べる量が減り、それに応じて体重減少も2,3ヶ月ぶりに再開されました。
2歳11ヶ月を迎え、ここへきて駆け抜けるような速さで、この2週間、栗丸は日々確実に身体の限界へと歩みを進めていました。

ヨタヨタはさらに増し、砂場から出た時に転んじゃうこともあった。
ひょっこひょっこ、歩行がずいぶん大変そうになってきた。
ペレットは偉くてちゃんと固いのも柔らかいのも食べるは食べるんだけど、いっぱいは食べれない。
体重が減ってく、小さな栗丸がもっともっと小さくなった。

それでも懸命に健気に生きる栗丸を、なるべく毎日SNSではお届けしてきました。
実際、身体的変化こそ大きけれど、栗丸自身の気力はいつも満ちていたんです。

つまり本ハムの気持ち的には、とってもとーっても元気だった。
ヨタヨタするけど木の枝は咥えてぶん回してるし、扉をガジガジ数時間齧ることもするし、時々昔みたいに遊びたいのか、もう登れない2階へ行きたそうに両手を伸ばして立つこともあったり。

ペレット食べる量は減ったけど、好物は絶対残さないしね。
なんならごはんの時間には、この年齢でも「今日のウマウマなにかな♪」って出てくる調子。
ペレットは残したままのくせに、好物は食べたいぞ!って、食い意地も健在だった。

だから、9月に入って毎日毎日そんな変化を見ながら、3歳は本当にわかんないなと思ってた。
やはり厳しそう。いや、この底力だもしかするのか!?
難しいかな…と思う一方で、盛大なお祝いをすべく計画を練ったりもしていた。
本当にわからなくて、気持ちは半々でした。

とにかくそう思わせるくらい、栗丸の気持ちは元気だった、現役だった。
でも…やっぱり身体がもう、もたなくなったんだね。

栗丸は、8匹目のハムです。
ハムスターの老いはめまぐるしい速さで私たちを置いていってしまうことも、
彼らがどんなに元気な気持ちでいたって、短命な身体はその気持ちに伴わずいつか綻びが出て耐えられなくなってしまうことも、私は身を以て知ってる、教えてもらってきた。

月初に「あとたった1ヶ月、されど1ヶ月」なんだと書きました。
高齢ハムの老いるスピードって、本当にすっごくはやい。数年ぶりに、しみじみ実感した。
月半ばに差し掛かって「あと2週間」が、「たったの2週間」が、もうすぐそこに見えているのに、まるでとても急で登るにはたやすくない山頂、そんな風に感じられました。

ただ私にとっては栗丸が幸せでいられることが何よりも大事で、
とにかく栗丸が好きなように生きてくれるのが一番で。
寂しさを募らせながらも、その山頂に到達することは本当にどっちでもよかった。
てっぺんから眺める景色は最高かもしれないよ?
でも、ここまで歩んできた道のりだってとってもとっても最高だからねえ。

もしかしたら数日後、1週間後、数週間後にはもう栗丸とお別れかもしれないな。
寂しくなるな、でもとっくのとうにその日が来てたっておかしくなかったもんな。
こんなに長くいられたことの方が奇跡だもんな。
すごいなあ栗丸、本当に…。
3歳はわかんないな、行っても行かなくても栗丸に決めてほしいな、
でも最後…最後だけは、どうかそばに居させてほしいな。
どんな旅立ちだとしても、とにかく最後にそばに居たい、それだけが願いだなあ。

そんなことを考える時間が、前よりぐっと増えたのが9月でした。

******************

「あ、ダメかもしれない」

そう思ったのは、9月15日、水曜の夜。
夜のお世話をしているとき、栗丸の動きが、おかしかったんです。
ちょっと動いて、止まる。動いてみる、でも止まっちゃう。
痛みに耐えてじっとする、そんな仕草だった。

数回そんな動きを繰り返したのち、いつもどおりの振る舞いには戻った。
トイレ行ったり水飲んだり、ごはん食べたり。

目は出血していたので、きっとさらに症状が悪化してしまったんだ、痛いんだ…。
その時の私はそう考えていました。

(痛みを取ってやれたらいいのに)
(栗丸が辛いのは苦しいのはやだな)
(どうにか苦痛を取り除いてやりたいのにな、なにもできない、歯痒いな)

心配でその夜はなかなか寝付けなくて、布団の中でペットカメラを気にしながら、でも真夜中にさっきみたいに普段通りにごはん食べたりしてるのを確認して、少しホッとして浅く眠って。
翌朝16日早朝、ここ最近の日課よろしく4時代からまた扉をガリガリガリガリする音を聞いて、もう少し安心して、アラーム通りの6時に私は起床。

絶対に毎日じゃあないんだけど、
栗丸は私たち夫婦が起きると、出てきて顔を見せてくれることが多い。
「おーう栗丸おはよーう!」とか挨拶して、まず一晩経ったふやかしペレットの入れ替えや、栗丸の体重測定をするのが定番の流れ。

その日もそうでした。
ちょっと違ったのは、体重を図るときにずいぶん大人しかったこと。

前夜の異変もあったし気になりつつ、しかしまだ忙しい時間だったので、一度ケージに帰ってもらった。
帰すとき、触れただけなのに瞬時に栗丸は撫でられモードになったもんで、本当はすぐ応えてあげたかったんだけど、ここ最近は一度撫でると眠って手のひらで1時間爆睡とかザラじゃなかったので、落ち着いてからゆっくりしようと、一旦「ごめん!あとでね」ってして。
やっぱり気になったけど、おしっこしたり水飲んだり、ちょっと食べたりして、栗丸は寝床に戻ってったから、私はちょっと油断してしまってた。

諸々の家事などを済ませ、やっと栗丸タイムだ!
と準備できたのはそれから2時間後、8時ごろのこと。

栗丸は寝ているようだったので、給水器の水替えをすることにした。

ケージから取り出して、新しい水を入れて。
給水器を戻そうと静かにケージを開け手を入れると、私がびっくりするほどの勢いで、バッ!と栗丸の鼻が巣箱の穴から出てきた。
鼻をすごくヒクヒクさせて瞬時に匂いを確認したかと思うと、そのままいつも出入りする扉までタタタタッと駆けつけてきました。
もうまるで、私が来るのを待ってた、と言わんばかりに。

(朝キャベツ待たせてた!?そんなに早く撫でてほしかった!?)

驚きつつも栗丸が寄ってきてくれた感があまりにも強くて嬉しくて、
頬が緩みそうになったんだけど、そんなあっぱれな話ではなかった。
扉まで来た栗丸は、なぜかそこでうずくまってじっとしていました。
いつもならすぐにそのまま出ようとしてくるのに…

目を瞑ったまま、口をきゅっと結んだまま、そこでまんまるになって、寝てるときみたいに鼓動に合わせて小さく揺れてうずくまっている。

ただならぬ気配を感じた。
すぐに手のひらに抱き上げ、それでも目を瞑ったまま身じろぎもしない栗丸を見て、私は悟りました。

違う、これは。これは最期だ。
栗丸は、本当に私を待ってたんだ、と。

自分の顔の筋肉、音が出たんじゃないかと思うくらいぐにゃっと歪んだのを覚えています。

(いや、でも、もしかしたら、昨日みたいな痛みが?)
(痛みに耐えてる時間なのかも)
(キャベツ、キャベツは?)
(好きなもの食べたら、和らぐ?!)

「くりまる、キャベツ、今日のキャベツ…」

口元に持っていったけど、反応してくれない。
そして視界に飛び込んできた、栗丸の、真っ黒なお腹。
いつも見ていた、再生したけどやや薄い毛でピンクがわかりやすかった栗丸のお腹が、それはそれはドス黒くなっていた。

内臓出血していた。直感した。たすからないやつ。

******************

2歳〜2歳半ぐらいの頃、私は時々栗丸にこんな話をしていた。

「栗丸はすごいね、薬も通院もがんばってえらい、栗丸がこうしてまだそばに居てくれること、本当に嬉しいよ。いっつも幸せ。ありがとうね。」
「でもねあんまり辛かったら、頑張ったりとかしなくていいからね」
「栗丸とずっと一緒にいたいけど、いなくなったら寂しいけど、栗丸が辛い方が私はいやなんだ」
「だから無理に続けなくてもいいんだからね、もうやめたいって時は、寂しいけど、いいからね、栗丸の好きにしてね」
「だけど、もし…もしその時がきたら、栗丸さえよければ、そばに居させてほしいなあ」

それでも栗丸は、そんな言葉気にしないよとでも言うくらいにずっとわんぱくで健気でした。
薬をやめたらさらにパワーアップしたりして、そのうちに、かえってそんなこと言い続けるのもなんか違うのかも、と思って、ここ数ヶ月はもうその話はしなかった。

でも、覚えててくれたのかな。
だからいよいよきたその時に、辛いのを堪えて、朝また私が戻ってくるのを待ってたのかもしれません。
待たせてごめん、栗丸。



どうしようもない寂しさで胸がいっぱいだったけど、それでもちゃんと私に知らせてくれた栗丸に、この最期のときに居合わせることが出来てよかったという想いも持ちながら、私は意を決して、別れのときに向き合いました。

目を瞑り口を結び小さく揺れるだけの栗丸を大切に両手で包んで運び、
片手に横向きに寝かせ、もう片手でいつものように優しく撫でながら、
床に座りこんで、気づけば泣きじゃくりながら、鼻水たらしながら、
ありったけの想いを、言葉を、感謝を、栗丸に伝え続けました。

栗丸は本当に可愛くて、優しくて、かっこよくて、面白くて、頑張り屋さんで、いい子で、すごくて、そんな栗丸に私は本当に本当に助けられて癒されて…
栗丸と過ごした日々、本当に楽しかった、幸せだった、いっぱいありがとう、栗丸のことが大好きだよって、一生わすれない、絶対に忘れないって。
色んな伝えたいこと、全部全部伝えた。

栗丸の最期は、辛かったろうと思います、痛かったろうと思います。
目を瞑って静かにほとんどじっとしていたけど、度々、おしりからウンチが出てきていました。
痛みに耐えて力んでいたのだと思います。

結構いくつも出てきて、それは栗丸が直前まで極めていつもどおりに食事をしていたのだろうということを物語っていました。
それを拭ってあげながら、私も努めていつもどおりに撫でて、撫でて。
大丈夫だよ、栗丸大丈夫だよ、わたしここにいるからね、ずーっといるからね、栗丸からもうずーっと離れないからね、辛かったら噛んでもいいよ。うんち出ちゃうのね、大丈夫よ、全部じゃないけどちゃんと食べてた証だもんね、えらいねえ。大丈夫だからね、寒くない?なでなでずっとするからね、って声をかけ続けて。

時々ほんのりピクッと動いてたのが、そのうちに、強い痛みがきたようでした。
閉じていた目がカッと開き、出血した赤い目は、力んで膨張気味で…
可哀想で代わってやりたくて何も出来ない自分が悔しくてもっと泣きたくなった。

でも…愛するハムには眠るように穏やかな最期をいつだって願ってきたけど、なかなかどうしてそれは叶わない望みであることも少なくないと、これまで身を以て思い知らされてきた。
いろいろ抱えていた栗丸だから、最期は辛いかもしれないと危惧もしていた。
どんな最期でもそりゃもちろんそばにいたいけど、辛い旅立ちなら余計に、だからこそ絶対にひとりにはさせたくないというのがあったんだ。

私はさらに泣きたいのをぐっと堪えて、こんな自分が今栗丸にしてあげられること、最後にしてあげられること、それは悲観して泣くことじゃない、栗丸を安心させてあげることだって。
恐らく経験したことのない辛いものに対面しているであろう栗丸に、真っ赤な目に視線を合わせて、とにかく私は「大丈夫」と何度も何度も声をかけて撫で続けました。

やがて鼓動が変わって、身体がドクンと脈打って間もなく、
失禁し、最後は少しの下痢もして、ぎゅっーっと全身に力を入れたのち、栗丸は旅立ちました。
今まで看取ってきた中では一番静かで、もがくような動きも鳴くこともなかったけれど、本ハムにとっては苦しくて痛くて辛かった旅立ち。

栗丸、いっぱい頑張った。
ずーっと頑張り屋さんだったけど、最後まで、がんばりました。

私に駆け寄ってから、1時間ほどでのお別れでした。

******************

多分栗丸は、栗丸自身は、まだまだ生きるつもりだったんじゃないかな。
なんとなくだけど、栗丸自身も「あれ?」っていう、青天の霹靂みたいな衝撃だったんじゃないか、この最期は。

右目・左目それぞれに眼病を抱え、目薬の副作用で多大な負担を抱え、ふくよかな体も、毛さえも一時は失った。
精巣腫瘍が見つかったのは2歳間近の頃、治療は難しく、見守るしかなかった。
やがて腫瘍は成長し、そのうちにお腹周りにも腫瘍が増えていて。

いくら薬をやめたことで毛が生え揃っても元気を取り戻しても、
多数抱えていた病気が消えたわけでもなく、身体が若返ったわけでもない。
目の出血だって増えたんだ、さまざまな病だって進行していたはず、老化は目に見えて加速していた。

内臓疾患をも併発していたのか、或いは腫瘍に圧迫されて臓器が損傷したのか、わからない。
いずれにしても、もう栗丸の身体は、限界になってしまっていたんですね。
今にして思えば、前日の妙な動きも、きっとこの内臓の異変に苦しんでたんだきっと。
もしかしたら8月下旬から食事が減ったのも、これが関係していたのかもしれません。

別れの時を報せに駆け寄ったというより、どうしようもない苦痛から逃れたくて、私に縋ってきたのかもしれません。

それでも…どっちだとしても、辛いもんは辛いし穏やかな方が良かったに決まってるけど、それでも訪れたこの結末に、最期に、苦しい時に、私を求めてくれたこと、それに応えてあげられたこと、しっかり居合わせ、少し待たせてしまったけど、ちゃんと話をして、見守って、この手に抱き、撫でて、看取ってあげられたこと…良かったと、思っています。

栗丸、本当に、本当にありがとう。
いっぱいっぱい、ありがとう。
この約3年間、私は本当に楽しくて、幸せいっぱいでした。

******************

2013年に初めてハムスターと暮らし始めてから、8年が経ちました。

希助、あられ、いずも、おくに。
茶太郎、ちとせ、のどか。

みんな大切な宝物で、それぞれと暮らした思い出は今も大切に心の中にあって、誰ひとり忘れたことはありません。
楽しかったこと、幸せだった時間、いっぱいいっぱいあるけど、至らないことも多くて、残った後悔もたくさんある。

「もっとこうしてあげればよかった」
「ああしてあげるべきだったのかもしれない」

栗丸は、最後のハムスターだと決めていた。
今までみんなが教えてくれたこと全部全力で全うする、絶対に幸せにする、そう強く強く心に誓い、2018年の秋、栗丸を迎えた。

栗丸の後ろには、いつもみんなを重ねていた。

栗丸と暮らした約3年は、思っていたよりずっとずっと濃密なものになりました。
ひょんなことからSNSなどで大変多くの方に見ていただくようになったり、
今までにないような病気、果てしない闘病に立ち向かうことになったり。
洪水危機で一緒に避難したり、震度6の地震に見舞われたり、ハムスターの一生にしては随分イベントが多すぎる感じもあったよね。

楽しいこと嬉しいことと同じくらい、なんでか経験したことのない困難も多くて、
だけど本当にひとつひとつ二人三脚で乗り越えてきて、
私と栗丸にはいつの頃からか確かな、深い深い絆が出来ていたと思う。

私にとって、栗丸はとても特別な存在でした。

それは今までのハムずと愛情の差があるとかではなくて、
どちらかと言えば今までのみんなの色々が全部栗丸には詰まってて、
さらにその先の未知への冒険みたいなのもあって。

出来る限りのことを、尽くしてこれた、やってこれたと思ってる。
栗丸は、最大限に、いや想像を超えるほど応えてきてくれました。

私にとって最後のハムスターが、栗丸で良かった。
一緒に過ごした月日も、別れにも、これ以上にないくらい納得しています。

だけど「寂しさ」だけは別物だからね、こればっかりは。
あまりにも特別過ぎた分、いなくなっちゃったらすごくすごく寂しくなる。
特に最近は一層撫でられるのが好きで、毎日のように手のひらですやすや眠ってて、このぬくもり、絹のような毛、やわらかさ、鼓動、におい、私を擽るヒゲ、ずっとずっとこんなに近くで感じてたのに…もうこれからは、触れることができない。会えない。

旅立ってしまった当日、すごくすごく泣きました。
TwitterやInstagramでもコメント・メッセージをもらうたびに、嗚咽して泣きました。
ほとんど返せてなくてごめんなさい。でも、全部全部読みました。
寄せられたコメントが本当にすごい数で、思っていた上に本当に栗丸って色んな人に可愛がってもらったんだと実感して、とても胸が熱くなりました。

こんなに泣いて、ああ栗丸がいないという事実を受け入れるのには、
私はどれだけ時間がかかるだろう、泣き過ぎて頭と顎を痛めながらそんなことを思ってた。

けど…
思っていたよりずっと早く、その事実に向き合わざるを得なかった。

次の日には会社へ行かねばならなかった。
早朝になっても、もう扉をガジガジする音は聞こえない。
起きても、出迎えてくれる姿はない。
いそいそとごはんや水、砂の入れ替えをすることもない。
家を出る時、地震対策のワイヤーをケージにかけることもない。
在宅仕事中はパソコン越しに聞こえていた栗丸の生活音、
出社の時はペットカメラでちょくちょく様子を確認していたけど、
もうそんな栗丸の命を感じる機会はなくなってしまった。
帰宅すると、エアコンも入れてないから部屋はむわっと暑い。
体重を測って用意したウマウマの記録をペットダイアリーに記すのもない。
お世話に支障が出るから、と料理のときは唐辛子を素手で扱わないとか、そんな気遣いももう不要。

生活の一部どころか、ずっと栗丸ありきの生活だった。
だから、栗丸のいない1日が、たったその1日で、痛いほど「もう栗丸はいないんだ」というのを繰り返し意識するしかなくて、理解するしかなくて、気づけば涙も出なくなってしまっていました。

気持ちがフワフワしてた。

燃え尽き症候群みたいな感じかと思う。
一気にいっぱい泣いて、一気に現実知って、一気に急に冷静になってきた感もあった。
いやまだふとした時に感情が乱れるとは思うけど、寂しいけど、でも。
やっぱり栗丸と過ごした日々が幸せだったことだけは間違いなくて、こんなに長く共に居られたこと、最期見届けられたこと、全部よかったんだから、やっぱりありがとうだよね、っとも思うしで。
ぎゅーーーっと詰まった約3年、言ってしまえばハムライフ8年分込めて、燃え尽き状態なのかなと思いました。

******************

栗丸が旅立った日は雨が降っていて肌寒くて、
できれば晴れの週末を待って埋葬したかったんだけど、それは出来なかった。
出血が多かったために、きっと傷むのが早いと思ったから。

家の中は暖かいからケージには戻せない、冷凍庫で待たせるなんてのも私の気持ち的にできない。
ならやはり、肌寒くても雨でも、みんなが眠る鉢へ寝かせる方がいい。
旦那の帰りを待ってから、その日の夜には、8匹分のごちそうも一緒に持たせて栗丸を埋葬しました。

きっとすぐにみんなが迎えにきてくれるからね、って。
でもあんまり寂しかったから、ほんのちょっとだけ、すっかりフサフサになった栗丸の淡い色の毛を少しだけ切って、瓶に入れて、手元に遺させてもらいました。
もう撫でることはできないけれど、せめて時々眺めるくらい、許してね、なんて。
(せっかく生えたのになに切ってんだ!って怒ってるかなあ)

フワフワしてた気持ち、ここ3日くらいずっとフワフワしてたけど、
合間合間に綴っていたこの記事を今日ようやく書き上げて、それと同時になんだか、やっと今、自分の中でもしっかり区切りをつけられた気がしています。
色々書きたいことがありすぎて、長くなり過ぎてしまった…。

結婚とほぼ同時にハムライフが始まり、今日まで8年。
振り返ればあっという間でした。
私の、ハムスターとの暮らしはひとまず、これで終わりです。

今後のことはしっかりとは決めていないけど、それでもハムスターは大好きだから、これまでどおりグッズを作ったり、ブログも残すつもりです。

(なにより差し迫っては2022年カレンダーも控えているしね)
(やばいよ連休で進めるはずだったからやばいよ!制作を急がないと)

栗丸はもちろん、希助やあられ、いずもとおくに、茶太郎、ちとせとのどかの懐かしい写真も改めて時々アップさせてもらえたらいいなと思ってます。

また先のことだからわからないけど、
例えばいつかこの先わたしに子供ができて、小学生とかになったら、その頃にはもしかしたら新しい子をお迎えすることもあるかもしれません。

動物と暮らすというのは、素敵なことだから。

私は大人になるまで、ハムスターを迎えるまで知らなかったけど、いつかくる別れは辛くとも、共に過ごした日々は宝物になる。
この8年、本当に本当に幸せだったもの。

******************

改めて、本当に、長いこと栗丸を可愛がってくださってありがとうございました。
いっぱいいっぱいコメントもありがとうございました。
「可愛い」って癒しにしてもらえたのも嬉しかったですし、
思っていた以上に、「病気して老いても懸命に生きる姿に勇気づけられた」とか、そんな言葉も多くて本当にびっくりするほど栗丸を見てくれていたことに、ただただ感謝です。
ひとりひとりお返事できなくて本当にすみません;

我が家はちょっと静かになってしまいましたが、まだしっかり立ち直るには時間がかかると思うけれど、ゆっくりゆっくり、色んな思い出を胸に、これから歩んでいこうと思います。

栗丸。
本当に本当に、大好きだったよ。
いっぱい楽しかった、幸せだったよ。

またいつか会える日まで、おやすみ、栗丸。

COMMENT LIST

  • 渋谷祐子 より:

    何度も読み返しました。私も何代もハムスターを飼っております。最期辛い症状のハムスターも、おりました。栗丸ちゃんの脅威的な生き様に何か頂頂きような気がします。栗丸ちゃんは永遠に忘れないし、忘れるはずがないハムスターちゃんでした。栗丸ちゃんと主さんの親方と言うやり取りには随分と笑わせていただきました。ありがとうございました。おやすみ栗丸ちゃん

  • moya より:

    ぼんぼりさん。
    こんばんは。

    くりぼーにもご挨拶していいかな?
    くりぼー、こんばんくり。

    涙でぐしゃぐしゃになりながら読みました。

    くりぼーへの沢山の想い。
    歴代ハムずへの沢山の想い。

    8年…もうそんなに経ったんですね…
    ぼんぼりさんと希助せんぱいに出逢ってからもう8年…

    その出逢いのおかげで、歴代ハムず、そしてくりぼーに出逢えたんですもんね…

    ダメだ。たくさんの想いが溢れて言葉にできないです…

    また、また落ち着いたら書き込みに来させてください…

    くりぼー。
    くりぼーとの出逢いは、私の中でとってもとっても特別な事だったんだ。
    ありがとうしかないんだ。
    大好きしかないんだ。
    ぼんぼり家に来てくれてありがとね。くりぼー。
    たくさんたくさん、ありがとね。くりぼー。

  • ノンノ より:

    ぼんぼりさんのブログきっかけでハムちゃんの魅力に惹かれ、栗丸くんより1ヶ月年下の子を飼っておりました。
    その子は1度目の病気にかかったもののその後は健康でしたが7月に旅立ってしまい、その子を飼うきっかけとなった栗丸くんを勝手に、今まで以上にひっそりと応援しておりました。
    ぼんぼりさん自身、栗丸くんファンの方が沢山居るからこその幸せと同時に、苦悩も沢山あったかと思います。(癒しのアイドルとしての栗丸くんをなるべくSNSに載せたい等)
    世間からしたらとってもとっても大往生の栗丸くんですが、本当にその背景は大変な事も沢山あったかと思います。
    ぼんぼりさんの愛情が毎回Twitterやブログを通して伝わってきて、
    栗丸くん、そしてぼんぼりさんという方を知ってよかった、
    と心底思います!
    栗丸くんやこれまでぼんぼりさんが家族になってきたハムずちゃんと同じくぼんぼりさんが魅力的で素敵で、憧れです。
    栗丸くんのご冥福をお祈り致します。
    そして、ぼんぼりさんも心身ともにご自愛ください。
    大好きな焼酎を呑んで、二日酔いになったなんて他愛ないtweetでも此方は最高にパワーをいただけます。
    もっともっと書きたいことが沢山ありますが、長文過ぎてしまうのでここでストップしておきます!

  • mm より:

    ぼんぼりさん
    栗たん

    インスタで先にお知らせを受けて、コメントしようかと迷っていたのですが
    ブログで綴って下さると書かれておられたので、それを待ってから、と思っていました。

    お別れからまだまだ短い時間の中、書き記してくださってありがとうございます。
    大切に、大切に読みました。

    ぼんぼりさんと栗たんの素敵な素敵な3年の日々を、ここに書ききることはもちろんできなかったと思います。ですが
    書いてくださった栗たんの最期の時を思い浮かべながら、私もその場に寄り添えたような気持ちになりました。

    そして今とても穏やかな気持ちで、栗たんありがとう・大好きだよと伝えたいです。

    マッシュの最期のときにも、お腹も黒かったり
    ギュッと目を瞑って
    ジッと堪えているようなところや、フニャッと体に力の入っていない感じや低血糖のような症状がありました。

    そして、いのちのこときれる直前まで、エネルギーを摂取しようとスタミノールを二度なめてたことなど
    その命の、生きることへの力の強さに圧倒されたことを久しぶりに思い出しました。

    思い返すと、やはり今ここに栗たん・マッシュがいないことはもちろん寂しいです。

    ただ私も、マッシュにはありがとう・大好きしか残っていなくって
    共に過ごす日々の中で、これ以上望むものはもう何もないと思えるほどのモノを貰ったと思っています。

    それはひとえに
    ぼんぼりさんをはじめ歴代のぼんぼりさんファミリーのハムズに出会えたことから、ハムスターを飼うと決心し

    マッシュに出会え
    さまざまな日々を共に過ごし、
    別れを経験した今があるからこそより強く、感謝としあわせを感じられるんだと思っています。

    特にマッシュと同じ時を生きたのどかちゃん・ちとせちゃん茶太郎くんや栗たんには格別の想いです。

    栗たんでハムとの生活は最後

    でもまたいつか、ぼんぼりさんと小さな相棒との暮らしが始まるかもしれない

    そんなことを少し、勝手に期待しながら
    これからもインスタの更新やハムグッズの製作など楽しみに拝見させて頂きます。

    ご縁がつづくと… 嬉しいです。

  • maca より:

    栗ちゃん、本当によく頑張ったね!
    ぼんぼりさん大好きだったもんね。
    前にも言ったけど、私に2匹目のハムと暮らす勇気をくれたのは栗ちゃんなんだよ。
    最初のハムを気付かないうちに逝かせてしまって、悔やんでも悔やみきれなくて、半ばペットロスになるくらい墜ちて…

    そんな中で同じプディングと一緒に暮らすぼんぼりさんのブログと出会ったんだよ。

    それから1年後、茶太郎くんとのどかちゃんとのお別れを見て、やっぱりもうハムと暮らすのは無理かもしれないと思った時、栗ちゃんがぼんぼりさんのおうちの子になって、もう可愛くて可愛くて!

    あれだけ無理だと思っていたのに、やっぱり一緒に暮らしたい思いが強くなって、迎えたのが2匹目のロボだったんだよ。
    栗ちゃんがいなかったら絶対に出逢えなかった。
    だから本当に感謝してる、ありがとう!
    あんまり愛想のない子だけど、慣れると結構いいやつなので、1匹目と一緒にハムランドで仲良くしてやってね!

    ぼんぼりさん、お辛い中ブログを綴って下さりありがとうございました。
    1匹目のハムの後悔から、必ず幸せにしてやりたいと迎えた2匹目も今年始めに永眠しましたが、栗ちゃん同様、駆け寄って最期を伝えてくれ、少し苦しみましたが『ありがとう』を伝えると、本当にスーッと目を閉じて眠りにつきました。

    今はハムではない、保護された子と一緒に暮らしています。
    お世話の仕方も住む場所も全く違いますが、それでも2匹のハムたちから教えてもらったことを忘れずに、精一杯の愛情を注いでいきたいと思っています。

    長くなってしまいすみません。
    これからもちょくちょく覗かせていただきますので、またSNSに可愛い写真や記事を投稿していただければ嬉しいです。

    あらためて、ぼんぼりさん、栗ちゃん、本当にありがとうございました!

  • ハムたろう より:

    栗丸ちゃんの最後の日のこと、教えてくださってありがとうございます。
    まだ日も浅く、お辛い思いをされながら記してくださったものと思います。

    ぼんぼりさんのブログに出会ったのが4年半くらい前、社会人になってから改めてハムスターをまた飼い始めて、いろんなハムスター飼育情報を探すなかで、とても分かりやすい文章、可愛らしいハムずの写真、なによりもハムずへの愛情がひしひしと感じられるもので、あっという間にファンになりました。

    私が社会人になってまたハムスターを飼いだしたのは、彼らの可愛らしさはもちろんのこと、幼い頃の無知さゆえ、不幸にしてしまったハムスターたちへの後悔の念も少なくありませんでした。

    ですので、失礼なことを申すかもしれませんが、ぼんぼりさんが今まで一緒に暮らしたハムちゃんたちに対して抱いた「もっとこうしてあげてたら」という感情や、その感情をもって新しいハムちゃんをお迎えし、大切に接することの感覚が、なんだか自分自身と近いものに覚えて、陰ながらファンとしてずっとブログを読ませて頂いていました。

    私もプディングの女の子と暮らしており、その子は栗丸ちゃんより3ヶ月歳下でしたが、それまで大きな病気をしたことがないのに、最後の一ヶ月で一気に時間が進んだように老いて、8月の終わりに眠りにつきました。まだ寂しさは消えませんが、寿命までしっかり生きて旅立ったことは、悲しいことではないと思っています。いろんな人生設計もあり、次のハムちゃんは今の所考えていません。

    なのでなおさら、栗丸ちゃんが病気と戦いながらなお活き活きと過ごしている姿を見て、本当にぼんぼりさんたちを尊敬し、元気を頂いていました。

    栗丸ちゃん、本当に小さな身体で、命いっぱいに生きたことが、ぼんぼりさんのブログがら沢山伝わってきます。
    そして、ぼんぼりさんが本当に栗丸ちゃんに沢山の愛情をもって接していたことや、その背景にある歴代のハムちゃんたちへの思いや愛情も、伝わってきます。
    1ブログの読者である私がそう感じるのですから、栗丸ちゃんにどれほどの思いが伝わっていたことか、それは特に最後の栗丸ちゃんの行動によく現れているのではないでしょうか。
    本来警戒心の強いハムスターが、最後の最後に行く場所は、きっと敵に見つからない、居心地のいい、自分にとっての隠れ家のような場所ではないでしょうか。
    栗丸ちゃんにとって、ぼんぼりさんが、どんなにあたたかい場所だったことでしょうか。

    間違いなく栗丸ちゃんは幸せでしたし、栗丸ちゃんにとってあたたかな存在になれたぼんぼりさんは、とても幸せだと思います。(もちろんぼんぼりさんの様々な努力の為せる賜物です。)

    寂しい気持ちは簡単に去ってくれるものではありませんが、寂しいと思う以上の多くのポジティブな感情を残してくれるのが、ハムスターの偉大さの一つと私は思っています。
    きっとぼんぼりさんのところに栗丸ちゃんは多くの幸せを置いて行ったでしょうから、その幸せな感情を胸にこれからの日々を過ごしていくことを、栗丸ちゃんや歴代のハムちゃんたちは嬉しく思ってくれると信じています。

    長文駄文申し訳ありません。
    とにかく、ぼんぼりさんと栗丸ちゃんたちから沢山の幸せをいただいたことに感謝を伝えたく、コメントさせていただきました。

    どうかご無理なさらず、なによりご自身のお身体や時間を大切に過ごされてください。

    栗丸ちゃん、ハムスター生を立派に生き抜いた栗丸ちゃんは本当に輝いて見えたよ。沢山可愛らしい姿を見せてくれてありがとう。どうか今は健康な身体で、たくさん食べて走って寝て、幸せに過ごしてくれていますように。

  • 右@ろどすた より:

    栗丸、ハム生よく頑張ったね。お疲れ様。
    いつもTwitterで栗丸くんの様子を見ることが出来たので、栗丸くんが身近に感じられる分、とても悲しく、寂しくなります。
    栗丸くん、そして栗丸くんの様子を伝えて頂けるぼんぼりさん、ありがとうございました。いつも栗丸くんに癒されていました。
    私も、愛ハムが治療法のない病気にかかり、長きに渡り苦しんでいる時は、「頑張れ」なんて言えませんでした。頑張って苦しみながら生きなくてもいいから、出来るだけ苦しみのない最期を迎えて欲しいと思ってしまいます。
    でもハム達は最後まで病気と一生懸命に戦うんですよね。
    最期の時、苦しんでいる我が子をただ見るだけしか出来ない状況は本当に辛いですね。
    それでもきっと栗丸くんは、大好きな飼い主さんに看取られて天国へ行けたので寂しさはなかったのではないでしょうか。
    栗丸くんは私の中のアイドルハムです今までも、これからも。
    これからも写真集や今までのツイートで、栗丸くんから癒しを補充させていただきます(*・ω・)*_ _)ペコリ
    どうか安らかに眠ってね。

  • kumarinko より:

    ぼんぼりさん。お辛いときに栗丸くんのことを教えていただいて本当にありがとうございました。
    Twitterのご報告で訃報のことは存じていたのですが、悲しすぎてコメントを残すことができませんでした。
    私自身もハムたちと一緒に暮らしいて、ぼんぼりさんのTwitterやブログを楽しく拝見していました。
    本当に健気な栗丸くんだったんですね。

    栗丸くん、希助くん、あられちゃん、いずもちゃん、おくにちゃん、茶太郎くん、ちとせちゃん、のどかちゃん
    ありがとうございました。
    みんな楽しく天国で暮らしていますね。

    ぼんぼりさん、本当にありがとうございました。

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